導き(柚木×堂島)


ドンッと肩を強く押され、背後にあったコンクリートの壁に背中を打つ。

「――っ」

痛みに眉をしかめ、自分を取り囲む上級生達を見下ろせば、それが気に入らなかったのか入学してから何度と無く言われた台詞と共に拳が振り上げられた。

「透かした面してんじゃねぇよ。一年の癖に生意気なんだよテメェは!」

しかし、その手は俺に届く前にその上級生は俺の視界から消える。

「ぐぇっ!だ、誰だ…!」

代わりに、ふわりと風に靡く眩しい金髪が俺の瞳に写る。俺が背にした給水塔の上から突然降ってきたのは学ランを着た長身の男。

「愉しそうな事してんじゃねぇか、あァ?俺も混ぜろよ」

上から降ってきた金髪の男は、左の掌に合わせた右の拳をポキリと鳴らし、ニィと口角を吊り上げ笑った。

「っ、ど、堂島!?何でお前が…!?」

「ヤバイ、逃げるぞっ!」

堂島と呼ばれた金髪の男を目にした瞬間、俺を囲んでいた上級生達はプライドも何もなく脱兎のごとく屋上から逃げ出す。

「けっ、骨のねぇ…。で、無事か柚木?お前もよくよく絡まれる奴だな」

「堂島先輩…、俺だって好きで絡まれてるわけじゃ」

無造作に伸びてきた手がぐしゃりと俺の頭を掻き混ぜる。

「止めて下さい」

「ただでさえお前は誤解されやすいんだ。もう少し愛想良くしてみたらどうだ?」

俺の方が少しだけ先輩より頭の位置が高く、これまた幾度と無く言われてきた台詞に俺はムッとして頭の上に置かれていた先輩の手を振り払う。

「しょうがないでしょう。元からこういう性格なんだし。愛想良くって言ったって興味もない人に愛想良くしてもしょうがない」

「あー、お前そんなこと言ってるから一匹狼だって言われて誰も近付いて来ないんだぞ?」

「別に先輩は近付いてくれるし。問題はない」

「あのなぁ…お前、そういうのが誤解を招くって…」

「そんなことよりまた上でサボってたんですか?」

「…まぁな。今日天気良いから」

振り払われた手でがりがりと頭を掻いて、先輩は言い聞かせることを諦めたようにふっと表情を緩く崩して笑った。

「天気って、曇ってたけど昨日もここでサボって…」

「細かいことは気にすんな。ほら…」

青空を背に金髪を靡かせ、再び給水塔に上がろうと梯子に手を掛けた先輩は振り向くと俺に左手を差し出して言う。

「授業は始まっちまっただろうし、お前もサボりの共犯になるだろ?」

自分の手を取ると信じて疑わない先輩の真っ直ぐな眼差しに、散々愛想がないと言われた表情がゆるりと淡く崩れる。

「唆した先輩が主犯ですよ」

差し出された手に左手を重ねれば、目線の先にいた先輩は一瞬驚いたような顔をして無防備な表情を晒す。
そして、重ねた手を握られたかと思えば先輩は俺から視線を外し、呟やくように言葉を落とす。

「お前が愛想良くなったら俺が困るな」

「ん…?」

「何でもねぇ。陽射しが強いから気をつけろ」

繋いだ手を引っ張られて、先輩の後に続いて俺もゆっくりと梯子を昇った。
眩しい日差しを避けて給水塔の影に入った先輩はコンクリの上に腰を下ろすとごろりと体を仰向けに倒して寝転がる。
俺はその隣に腰を下ろして、足を前に投げ出して座った。

「少し風があって…気持ちいい。これなら先輩がサボる気持ちも分かるかも」

「だろ?」

組んだ腕の上に頭を乗せ、先輩は俺を見上げて得意気に笑う。

「お前ならそう言ってくれると思った」

「先輩…、他の人達は?」

「あ?アイツ等なら美人の新任保健医が来るとか騒いで出てったぜ」

「ふぅん…先輩は見に行かなくて良かったの?」

「興味ねぇ」

「そう…」

それきりふつりと会話が途切れたが、頬を撫でる風は心地好く暖かな沈黙が二人の間を流れていく。


静かな青空を見上げ、口を閉ざした先輩へと視線を下ろして自然と頬が綻んだ。

「……寝たんですか、先輩」

優しい風に撫でられた金髪が風にそよぎ、閉じた瞼の上をふわりと掠めていく。薄く開いた唇からは微かに呼吸が漏れ、学ランの下から覗くシャツが呼吸に合わせて小さく上下している。

「………」

その様子を暫く眺めて堪能していた俺は、いつしか引き寄せられるようにコンクリに下ろしていた腰を浮かしていた。先輩の頭の両横に手をつき、瞼を閉じた端整な顔を真上から見下ろす。

「…先輩。堂島…先輩」

少しだけ顔を近付けて囁くように名前を呼ぶ。

「………」

けれども先輩は寝息を立てたまま、まったく起きる気配がない。

そっと吐息の触れる距離まで近付いて、コンクリについた指先が震える。今までにないほどドキドキと、早鐘を打つ鼓動に胸の片隅には罪悪感が生まれる。

「せんぱい…」

それでも近付き過ぎた距離に、もう自分では止められなくて…小さく寝息の零れる唇に俺は触れてしまっていた。

重ねた唇に先輩の吐息がかかり、柔らかなぬくもりが唇に伝わってくる。

(…先輩、堂島先輩。俺は…貴方が好きです)

「………ん」

じぃんと胸の奥から沸き上がる甘い衝動に一度では足りず二度、三度唇を啄めば、先輩の鼻から甘く抜けるような声が漏らされ俺は我に返った。

「…ン…ゆず…き?」

うっすらと持ち上がった瞼に、俺は自然な動作で身を起こして、熱くなった胸を誤魔化すように細く息を吐く。

「…もうそろそろ授業が終わりますよ」

「んー、そうか。お前は戻るか?」

ふぁと欠伸を漏らしながら、寝転んでいた身体を起こした先輩は何も知らずに俺の顔を見る。そんな何も知らない先輩に、じくりと後ろめたさが胸を突き、思わず俺は先輩から逃げるように視線を反らした。

「…戻ります」

今は、先輩と二人きりは俺の感情が不安定過ぎて危ない。

「そうか。お前まだ一年だし、授業にはなるべく出た方がいいぞ」

「サボりは先輩が誘ったからでしょうが」

「それでも乗ったのはお前だろう柚木?」

ニヤリと笑われ伸びてきた手が俺の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。

「やめて下さい」

その手を焦って払って俺は急いで立ち上がった。
先輩に触れられただけで体温が上昇する。
これ以上は自分が何を仕出かすか分からない。

さっさと先輩から離れようと踵を返しかけて先輩に腕を掴まれた。

「待て、柚木」

立ち上がろうと中腰になった先輩に、いきなり強く腕を引っ張られ、俺は先輩に向かってバランスを崩す。

「わ…っ」

咄嗟に目を瞑り感じたのは先輩の吐息。

「え…っ…?」

掠めるように唇に触れて離れたのは紛れもなく俺が触れてしまった先輩の唇。驚きに思考が停止し離れた唇を目で追っていけば、ひっそりと秘密を暴くように唇が小さく動いた。

「寝込みを襲う勇気があるなら告白してこいよ」

「っ…、先輩、気付いて…」

立ち上がった先輩に腰を支えられ、囁かれた台詞に先輩を見つめ返す。
飄々とした様子で頷き返した先輩に俺はコクリと喉を震わせた。

「可愛げもない俺が告白なんかして…先輩は何て返してくれるんですか?」

「その答えはお前がしないと分からないな」

ふっと余裕のある表情を浮かべ笑った先輩に、まるで俺一人が空回りしているようで、俺は一度口を閉ざした。

ジッと先輩を見つめ、引き返せない場所まで足を踏み入れたのは自分だと、小さく息を吐いて腹をくくる。

「聞いてくれますか、先輩」

初めて先輩と会ったのもこの屋上だった。
その時もやっぱり俺の態度が気に入らないと、上級生達から一方的に絡まれて。
どうしようかと思案していた時に背にした給水塔の上からひらりと身軽に先輩が俺の前に降りてきた。

「新入生虐めとは、暇人だなぁテメェらも」

「っ…ど、堂島!?」

「暇潰しがしてぇなら、俺がいくらでも構ってやるぜ」

にぃと口端を上げて笑った横顔を俺はぼけっと見つめていた。
俺を囲んでいた上級生達は先輩の言葉を聞くなり顔を真っ青にして蜘蛛の子を散らすように散っていく。

「大丈夫だったか、新入生」

「…大丈夫も何も、手を出される前に先輩が散らしたじゃないですか」

あの時はお礼も言わず、失礼な奴だったと振り返って自分で思う。
後で噂で聞いた話だが、屋上には堂島先輩という喧嘩のめちゃくちゃ強い先輩達のグループがいるらしい。

それからもたびたび上級生達に絡まれては、何処からか顔を出す堂島先輩に助けられてきた。
俺だって別に喧嘩が出来ないわけじゃない。堂島先輩には負けるかも知れないが、自分じゃ強い方だと自負している。

中学時代はそれなりに、名前を売った方だとも思う。それも高校入学を機に、喧嘩するのは止めたけど。

しかし、まさかそのせいで。俺が誰かに守られるなんて。

大人しく俺の言葉に耳を傾ける体勢をとってくれた先輩に、俺も毅然と顔を持ち上げる。

「俺…初めて先輩に助けられたあの時から、最初はまったく気付かなかったけど。あの瞬間から…先輩に惹かれてました」

「………」

「堂島先輩、俺は貴方が好きです」

例え先輩が俺をただの後輩だと思っているんだとしても俺は恋愛対象として先輩が好きです。

いつになく回る自分の饒舌な舌に、先輩を見つめる双眸に熱が籠る。
一度堰を切って溢れ出した想いが、俺の唇から零れ落ちる。

「俺に…先輩を下さい」

そう変わらない位置にあった先輩の余裕の表情が崩れる。微かに見開かれた目に、目元に淡く朱が走る。

「お前…っ…下さいって、そんな告白…」

「俺は言いましたよ。返事を…聞かせて下さい」

言わないと答えを教えてくれないと言ったのは先輩自身だ。
不安を隠して俺は真っ直ぐに先輩を見つめる。

「……はぁ。まさか、こう来るとはな。始め、お前の名前を聞いた時から半ば予感はしていた」

「……?」

「だが、それも惚れたんだからしょうがねぇ」

やがて先輩は一つ息を吐き出すと、俺と視線を絡めて諦めたようにゆるりと笑って言った。

「貰われてやるからには大事にしろよ」

「…!」

「柚木…、俺もお前が好きだ」

返された返事に、俺は先輩の背中に腕を回す。
熱くなる身体と昂る心に、俺は柄にもなく声を上げて喜びたくなった。

「先輩っ、堂島先輩…。俺、凄く嬉しいです」

「そうか…俺と一緒だな」

遠くで鐘の音がしたけど、俺は先輩と抱き合ったまま。次の授業もサボった。

ごろりと二人コンクリの上に転がり、俺は身体を起こして先輩の顔を覗き込む。

「ん、どうした?」

顔の上に落ちた影に、先輩が不思議そうに俺を見上げる。
俺は口許を緩めて、先輩の頭の両横に手を付いた。
そしてそっと顔を近付け、窺う。

「キス…しても?」

落とされた言葉に先輩はふっと口許を緩めて、持ち上げた右手で俺の頭をくしゃりと撫でる。

「ダメだ何て言わねぇよ。柚木のしたいようにしな」

吐息の触れる手前で、止まっていた唇が動く。
先輩と、囁いた声は柔らかく温かな唇の感触に溶け、触れる吐息は甘く混じり合う。

「……んっ」

本来なら先輩は大人しく受け入れるような人じゃない。それを俺は知っているから、自分の下で瞼を下ろして唇を受け入れてくれる先輩に、愛しさが溢れて止まない。

(…先輩、堂島先輩、俺は貴方を…愛してる)

キスを交わしている間も頭を撫でる手は優しくて、先輩は俺を導くように包み、受け止めてくれた。



ふわりと吹く、頬を撫でる風が今日も心地好い。


end.

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